Legitimacy and the Discursive Space Based on the Collective Memory of Salmon

2007 
1980年代以降,自然保護と開発の現場では「原生自然」型保全政策から住民参加型政策への転換がおこった.この転換は同時に,「誰の」「どのような」自然が守られるべきであり,「なぜ」「どうして」それが正統であると承認されるのか,という問いを当事者たちに投げかけてきた.本稿は,米国カリフォルニア州マトール川流域において,人々が鮭の記憶の語り合いをつうじて鮭の集合的記憶を生成し,それを根拠として地域の自然資源を管理する主体としての正統性を獲得していく過程を分析するものである.マトール川流域では,流域の保全と再生をめぐって,1970年代以降「開発者」であるランチャーと「環境主義者」である新住民との間で対立が続いていた.しかしながら,対立の中から生まれた鮭の記憶を語り合う言説空間において,鮭の記憶の集合化とともに流域住民としての集合的アイデンティティがはぐくまれ,この二項対立は乗り越えられた.さらに,この言説空間は,流域の人間‐自然関係にかんする規範倫理と,自然資源を管理する主体としての正統性もまた構築する場となってもいる.本稿では正統性の根拠として集合的記憶が構築される過程,特に記憶の語り合いという相互行為に着目し,その可能性について述べる.
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